三斗小屋宿跡~井戸沢~流石山~会津中街道:その2

【10月27日 単独沢歩きデビュー:那須・井戸沢】


流石山からスットンスットン気分よく下る。
昂揚を抑えきれないくらいに心が踊っているので身体も軽いのだろう。
陽が差していない分おしとやかに見える紅葉だけど、
その派手目な本性が容易に想像できるだけに、眼もクルクルキョロキョロ軽快に動く。
「それはそうと、どこで殿と姫に会えるかな?」

画像
三本槍岳

画像
二岐山と旭岳(?)と流石山の爽快な尾根

画像
雲の切れ間からスポットライト

画像
大峠に下る途中で、三斗小屋宿跡~三斗小屋温泉~大峠~流石山と歩いてきた殿と姫に出会い大峠で昼食を摂ることに。風が強いので場所探し中

画像
大峠


ホットドッグとヨーグルトとおにぎりにに加えて、
殿お手製の魚の缶詰+野菜+現地でゲットしたムキタケ入り熱々みそ汁で昼食。
私が準備していたものはホットココアとレーズンのみ。申し訳ない。

さてそれでは、キノコなどを探しながら待望の会津中街道を歩いてみるとしよう。

画像
大峠から三斗小屋温泉に向う道筋から右手に折れる。道は先ず先ずの状態だけど目新しい熊の足跡と薄茶色の大きな糞だらけ。「お~、怖っ!」

画像
秋彩

画像
秋彩

画像
秋彩

画像
ムキタケを大量にゲット


会津中街道を歩くには中ノ沢を渡りそして渡り返す作業が必要。
その作業は岩が滑りやすいので要注意だし道が寸断されていてルートファインディング
も要求されるから、むやみには立ち入らないほうが賢明というものだ。
私たちも渡り返しの部分で道を見失い、
手分けして埋もれた道の探り出しや掘り出しの作業を強いられている。
次に訪れる場合はマーキング用ペイントやらトラロープを持参したいと思う。

画像
街道の面影を失った極々狭い山道は井戸沢にぶつかって突然プッツン。よくよく目を凝らして発見した対岸の標識。この標識から少し登ると作業道路に飛び出て間もなく宿跡に着いた


戊辰戦争(1868年・戊辰の年から翌年まで行われた新政府軍と旧幕府側との戦いの総
称。鳥羽・伏見の戦、彰義隊の戦(上野戦争)、長岡藩・会津藩との戦争、箱根戦争など
を含む:PAPYRUSより引用)
に思いを馳せたり、山談義しながらの林道歩きは呆気なかった。

ゲートに戻り着いてコーヒータイム。
深山湖でワンクッション。

画像
深山湖と中々にカッコイイ流石山

画像
陽が差しさえすれば感嘆の声が漏れること請け合いの紅葉。まばらな人影。ここは間違いなく那須・塩原の穴場


目の前を1台の車が通過しかかった。
「あっ、純ちゃん!」
先方も気付いたらしく窓から首を出して
「あっ、デイダラボッチさん!」
沼原~姥ケ平~日の出平周回でご一緒した白河市のJちゃんこと純ちゃんだった。
友人2人を乗せて、白河~観音沼~甲子道路~那須~深山湖と紅葉見物中とのこと。
不思議なことに、時間を経た戸田十字路でもまたまた顔をあわせた。

とてつもなく爽快だった沢歩きに満足。
3人だけの歴史街道大名行列に満足。
豊かな自然に満足。
沢山の出あいに満足。
(純ちゃん、サルの群れや、熊の足跡と糞や、ムキタケと一緒くたにしてゴメン


あ~っ、山っていいな~!


全編をアップしようとしたところ
「20000字を越えているので削除してください」とのメッセージ。
いつもこうなのでガッカリする。
ウェブリブログさん、
「5000字、10000字、15000字などの区切りでメッセージを挿入してもらえれば
助かるのですが・・・、できない相談でしょうか?」


そんな訳でお粗末なその2になりました。


[追記]
会津中街道について(引用)
会津中街道は、氏家町から矢板市・黒磯市を経て大峠を越え、下郷町から会津若松
に至る街道である。 会津藩3代藩主松平正容侯によって、元禄8年に開削された。
その全長は、31里10町57間。天和3年の日光大地震で男鹿川がせき止められ、
そのために五十里沼が出現、会津西街道が遮断されるに至り、
急遽その代替道として造られたものである。        

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

くに
2012年10月29日 00:25
沢やさんよりも速いなんて!
完全装備の沢やさんも、さぞ泡を食ったことでしょう。
いいですね~、沢。
私もやってみたいものですがこればっかりは山を
歩き始めたばかりのひよっこが一人では入れませんね。
2012年10月29日 07:28
(エイリアン)くにさん、おはようございます。
デイダラボッチの場合はほとんどの場合同行者がいるので、日程変更はない早く歩けない無理もできない、とないない尽くし。その裏返しなのか、単独だと多少なり無茶苦茶をする傾向にあるようです。

若い頃くにさんたち美少女は、品行方正な美少年よりニヒルで不良っぽい少年に魅かれませんでした?
品行方正でもてなかったデイダラボッチは今になってニヒルな不良少年を演じてるのかも・・・
HEBA
2012年10月29日 09:38
楽しい山行でした。
思いがけず栃木の戊申戦争について知る機会を得ました。
西街道、中街道、原街道(東街道)があった。
会津藩と境を接していたことが多くの戦を招いた。
黒羽藩は小藩ながら官軍のなかでも秀でた近代兵器元込7連発で武装したいた。
三斗小屋宿は会津藩が開いた。
三斗小屋宿で悲惨な虐殺があっことが”戦死若干”と訳ありな表現に関係していると読みとれる。
などなど…。

三斗小屋宿の上部地域は来訪者が少ないせいかやたらと熊の糞(10か所以上)があり、熊とかなり接近している感があり単独では立ち入らない方が無難と思いました。
2012年10月29日 12:07
HEBAちゃん、こんにちは。
早速調べましたね。「西があり中があるんなら東もあるかな?」なんておしゃべりがヤッパリ当を得ていたんだね~。“原街道”っていったい何処を通っていたんだろう?興味津々。
それはそうと会津中街道の会津側には石積や石畳が結構多く残っているのに、黒羽側には三斗小屋宿跡以外な~んにも残ってなかったね。もう少し歴史の香り芬々かと思っていたのに・・・。
何れにしても楽しい1日をありがとうござりました。
姫にもよろしくお伝えくだされや。
セとナ
2012年10月29日 12:08
こんにちは。
ほんの短い沢しか歩いた事がありませんが、沢歩きは楽しいですね。
どこまでも続く滝に紅葉、素晴らしいぃ~!
ついこの間まで腰が痛~いなんていっていたのが嘘の様な速さ。やっぱり超人です。

そしてムキタケのお土産付
ムキタケかと思ったらツキヨタケなんてことばかりでした。
ほんとに美味しそう♪
2012年10月29日 13:34
セとナさん、こんにちは。
三世帯交流ハイキングは総勢400人?
そりゃ先生のみならず親もそして爺も婆も大変だ~!

三斗小屋宿跡から流石山中腹までは結構な錦衣に覆われていたので、沢を歩きつつ紅葉見物ができました。
ただ、腰が完治していなかった谷川岳登山の時と同じチャチなカメラ(水に濡れて壊れても惜しくないような)持参だったので、実際よりも更に色抜けが悪くてガッカリしてます。防水カメラが欲しいところです。

ムキタケ。ほとんど傷んでなくて、ナイフで丁寧に切り取った(切り口に黒ずみがないからツキヨタケでなくムキタケ)ので大量ゲットでした。
この時季の山は余禄があるから楽しいですね~。
2012年10月30日 22:32
こんばんは
27日の深山ダムでの出会いは
‘えー!(^o^)/”でした。(またどこかでお会いするのを楽しみにしております)
流石デイダラボッチさん、沢歩きとは腰は大丈夫ですか

私も今年は那須岳の紅葉を満喫致しました。
12日・20日・27日・29日と登山コースを変えたり、ドライブだったりと観音沼森林公園の彩の変化を毎回観察できました。
20日は日暮しの滝から大峠~須立山~甲子山~下郷トンネル口登山は秋の日暮に心細い思いを致しました。
(下山してからの林道歩きが長かったです)
坊主沼避難小屋で同級生メンバー9名でラーメンランチを楽しんだ後に・・・紅葉を楽しみながらの甲子山までは素晴らしい景色でしたが林道ゲイトがあり向かいの車が入れませんでした。
毎回、学ぶことがありますね。
11月3日には自然探勝教室で大平山を楽しんできまーす。(*^。^*)
2012年10月31日 09:54
純ちゃん、こんばんは。
“毎日サンデー”を有意義に過ごしてますね。
この分だとあと数回はバッティングしそう・・・。

ところで那須岳より南側に住んでいる人間には甲子側とか下郷側とかからの登山は思いつかないんだけど、
須立山・甲子山・下郷トンネル口・坊主沼避難小屋には心惹かれますね~。
今年は無理だけど調べてみようっと。

この記事へのトラックバック